うちの娘は足が遅い。走っている姿を見ていると、とても大変そうだ。お尻が重そうで。
去年も今年もかっけっこはダントツのびり。去年まではまるで気にしていなかった娘だが、年中さんになった今年は、本人の中にも恥ずかしいという気持ちがあるようで。どこで覚えたのかは知らないが、「いいんだよ、遅くても。一生懸命走れば偉いんだよ」などと言っている。それは、本当に正しいのだと私も思うのだけれど、やっぱり早くなりたい!という向上心も持っていて欲しい気もする。まぁ、それは人に慰められる時の言葉であって、自分から言うことではない気がするのだ。
しかし、私も運動に関しては強く言えない部分がある。私も筋金入りの運痴で、学生時代には数々の伝説を残してきた。だから、自分の娘が運痴でも、おかしいことでは無いし、むしろ自然な感じがする。
一方、夫は昔からよく運動の出来た少年だったらしい。徒競走はいつも一番で、成績も良かったらしい(←それを自分で言う所が嫌なやつだ)。だから、娘の運動音痴ぶりが信じられないのだと言う。でも、考えて見て欲しい。夫と私の子供なのだから、私に似てる部分があっても当然だろう。でも夫は、「俺の娘なんだから、練習すればきっと早くなる」の一点張り。
人には向き・不向きがある。得意・不得意がある。全てにおいて優れていなくてもいいと思う。
50メートル走るのに10秒かかったとしても、跳び箱(4段)が飛べなくても、逆上がりが出来なくても、小学校高学年になってやっと自転車が乗れるようになるような、そんな運動神経の持ち主でも、立派に生きていけるのだ。
私がその証拠である。
しかし、私は体育をさぼったことは無いし、出来ないながらも一生懸命取り組んできた(通信簿では“2”しかもらえなかったけど)。苦手ながらも、頑張ったということが大事なのだ。
そう、出来なくても頑張ることが大切なのだ・・・・・。
どうやら、性格までも私に似てしまったらしい・・・・・。
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